まずは、簡単に筆者の経歴を紹介させて頂きたい、20代の頃芝居の作家演出家をしながら、趣味で競馬場に通う。と、言っても芝居では食えず、実は競馬・パチンコで凌いでいたのだ。
競馬の場合、むやみに買わない。パドックを見てこれぞというレースに賭けるのである。1日12レースのうちに賭けるのは2~3レ―ス、それを太めに買う。そんな頃、私の姿を見て興味を持ってもらったのが我が師匠ともいえる、某夕刊紙の競馬担当のキャップであったN氏である。その縁で、同夕刊紙の風俗担当のSさんと知り合う。
このコラムを書くきっかけになったのが両氏の縁で、不思議とその後取材先でも縁に恵まれる…というか、かなり私から強引に入りこむことが多いのだが…
川崎のソープ街を調べるに当たって、取材に協力させてもらったのが、川崎のネオン街から少し離れたところで、昼は喫茶店、夜はスナックになる店の店主、Yのおいちゃんである。何しろこの街の変遷を古くから見ていた、この街の生き字引、いまなら歩くウィキペディアというところか。
ちなみに、おいちゃんが店で飲み潰れている間もしっかり、店を切り盛りしている女将さんは元ソ―プ嬢である。女将さんの時代ならトルコと呼ばれた頃かもしれないが……
さて、前置きが長くなったが、川崎のソープ街界隈の話をおいちゃんに聞いてみた。
「そもそもよ、ここいらは,工員の街よ。ほら、寅さんに出てくる博みたいな連中(筆者注・映画「男はつらいよ」で前田吟が演じた寅次郎の義理の弟、諏訪博)が、工場が終わって安酒を飲んで。給料日やボーナスが出るとソープで遊んでいたわけよ。
コツコツ溜めてなけなしの銭を落としに来る客が多かったから、ソープ嬢もサービスを磨いたわけよ。情が深い子も多かったのよ」まぁ、かなり飲みながらだったので、だいたいこういう話をしてくれた。女将さんに聞いても、「テクニックの川崎」」と呼ばれていたとか。さしずめ、「花の吉原、技の川崎」というところか。何しろ、今やソープでは定番の「泡踊り」と呼ばれるボディ洗いは、川崎が発祥ということである。
さて川崎のソープといえば堀之内が有名で、駅から徒歩10分の場所に、50店舗近いソープが営業をしていて、関東でも屈指の規模である。また、駅から南にある南町にも20店舗ほどのソープが営業している
。
さて、おいちゃん曰く、昔はもっと殺伐とした街であった堀之内・南町界隈だが、今はマンションも建って新たな住民も増え、大規模なショッピングモールもできてファミリー層も多く来るようになり、随分街の雰囲気が変わり、その華やかな場所からあまり離れてはいないが、落ち着いた街の佇まいを見せる堀之内のソープ街には随分と行きやすくなっている。
また、駅から徒歩10分という立地だが、車で送迎してくれる店もあるので、事前に調べて利用するのもいいだろう。
さて、堀之内に関していえば、高級店から激安店まで様々なソープがあり、「テクニックの川崎」と呼ばれた矜持は、今でもどの店にも持っていて、ソープ嬢へのテクニックの継承は、現在も受け継がれているのである。